40歳を過ぎてコネや人脈も無いのにどうしてカメラマンになったのか
この記事をご覧になってくれている方は先ずは
お礼を申し上げます。
当ブログ開設の最初のお話は
私の経歴的な事をお話致しますが、
あくまで紹介なので、あまり期待しないで
下さいね。
カメラマンが書くブログで自己紹介なんて
写真がどれだけ好きか書いてあるんでしょ?
なんて思った方は誤解です。
残念ながら学生の頃から写真が好きだった
わけでは無いし、また、
スキルが有るわけでもなく、
また、
写真で救いたい」
みたいな素晴らしいストーリーが有った訳
でも
一言でいえば脱サラという名前の挫折をして
私はカメラマンに
なっ
そもそも
写真に興味を持ち始めたのは
妻が写真が好きだったのです。
全く写真に興味がなかった私は
デジカメで娘を撮っている妻の横で当時の
携帯電話のカメラで同じ様に何となく
撮っているだけでした。
ある時いつもと同じ様に娘を撮っていると
自分の撮りたいイメージ
浮かびました。
ところが、
イメージ写真は撮れません。
そんな時妻が、
「レンズがそもそも違うから」
と私に言いました。
実はこの一言が後に私をドップリと
写真沼に浸からせる
きっかけと
しかし、
その時はまだプロのカメラマンに
なろうとは思いませんでした。
それから何年かは中古でデジカメを買い、
そして、
家族を撮って一人で自己満足
浸っていました。
当然仕事として成立する写真なんて
意識をしたことも、
また、
今に思えばひどいものです。
(今でも凄い写真家の方々からすれば
要修行だと思いますが。)
それから更に何年か経ち日々の生活を送る中で
何かが変わり始めま
その当時私は自動車の修理や営業の仕事を
しており、かれこれ20年近く働いてましたが、
感覚や、
また、
上の立場の顔色、
働いている感覚を強く感じる様になり
いつしか自分の仕事は人の役に立って
いないのではないかと思う様
なりました。
自分の仕事で誰かの役に立ってその人を
笑顔にしたい。
そんな気持ちが日々膨れてきました。
つまりその時の仕事が嫌になったのです。
それから時が経ち私は大義名分を理由に
お世話になった会社を辞め、
経営していましたので、
手伝う事になりました。
今思えば挫折ですね。
しかし、
そんな簡単には事は運びませんでした。
どんな販売業も資本力の有るメーカーが
結局は強く、
例外ではありませんでした。
最先端の技術や設備、
年々変わる法改正への対応力、
そして、
なっていました。
自分が独り身なら何とかなったかもしれません。
しかし、
私には食べていかなければならない
家族がいました。
実家にはお詫びとお礼を伝え家業を
離れる事にしました。
また、挫折ですね。
何とか家族を食べさせなければならない。
それだけを考え取り敢えずアルバイトをする
日々となりました。
得てきた経験はそれなりに
有ったからでしょうか?
アルバイトも思った以上に収入は厚待遇
で扱って頂き一先ずは生活に困らない
レベルにはなりました。
しかし、
「こうじゃない。」
自分の中では生活が出来てもその気持ちが
消えることは有りません
自分一人ではなく家族もいるわけですから
バイトでもなんでも食べていけなければ
話になりません。
でも、
同じことの繰り返しに嫌気がさす気持ちが
日に日に増していきました。
もはや、
自分でいうのも恥ずかしいですが
病気レベルです。
そんなある日に思いました。
自分で、商売を始めよう。
しかし、考えは漠然としてます。
今の自分はなにが出来る?
自動車修理?
中古車でも売る?
どちらも自分の選択肢には
もう有りませんでした。
他に何が?
そんなことを考えているうちに
こんな事を思いました。
自分で商売をやるのに出来るとか
食べていけるか?
どうせやるのなら自分のやりたい事を
やろう。
何を?
写真を撮りたい。
何を撮りたい?
人を。
これがプロとしてカメラマンになろうと
思った始まりでした。
ここからは自分の良いところであり、
悪いところですが、一つ考えが決まると
兎に角直ぐに動き出さないと我慢が出来ません。
具体的にどんな人を撮りたい?
そんな事を考えた時
直ぐに
答えは出ました。
いえ、
既に決まっていたのかもしれません。
誰かの役に立ち、その人の笑顔がみたい。
そうです、
結婚式の新郎新婦やゲストの笑顔です。
これが自分がプロのカメラマンになろうと
思ったきっかけです。
ね?
大した話ではなかったでしょ?
この続きは次回にいたしますが
他に聞きたい話や書いてほしい事など
希望が有りましたら可能な限りお答え
させていただきます。
では、
また来てくださることを
楽しみにしてます。
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